AIコラム vol. 7

AIコラム vol. 7

2025.4.10

ライター 半田孝輔

【リテラシーを培うことはAIの活用に必須である

混乱する世界情勢

混迷を極める情勢が続いています。ロシア・ウクライナ、イスラエル・パレスチナのあいだでは停戦の兆しが見えません。日本では物価上昇に止む兆しが見えず、税金も上がり続け、労働者の賃金はインフレに追いつくことができない状況です。

そして、アメリカのトランプ大統領による相互関税の発言。1兆ドルに及ぶ貿易赤字の解消、国内製造業の保護などの理由により貿易相手国に対して高い税率を課す(原則、関税は「物理的な貨物」にかかるとされています)。日本には24%の関税をかけるとし、さらに輸入自動車については25%の追加関税を発動。国内外の経済が打撃を受けるのは間違いないでしょう。

宮崎県でも、県や商工団体による中小企業特別相談窓口が設置されました。企業活動、市井の人々の暮らしはどのようになっていくのでしょうか。私たちが財布を開くとき、何を思うようになるのでしょうか。そんなミクロの場面から経済を考えていきたいですね。

誤情報を出力するAI

さて、世界情勢、とくにアメリカの相互関税がAI分野にどう影響を与えるのか。気になりGeminiに投げかけました。

返答の要旨としては、AIを開発・運用するためのサプライチェーンが混乱する、世界的にAI開発のスピードが減退するかもしれない、米中間のAI開発の競争激化が考えられる、とのこと。AIの進歩には世界中の研究者による交流、情報共有が欠かせず、相互関税はその動きを阻害する、というのがGeminiの指摘でした。

その部分に同意しつつも、回答の表記に気になる箇所を発見しました。トランプ氏が「前大統領」と記載されていたのです。その部分を何度か指摘するも誤りを認めることなく、ついには2025年現在の大統領は「ジョー・バイデン」であると述べてきます。

目覚ましく進化し、精度もこの1年で格段に上がってきた生成AIですが、いまだに間違うことがある。精度の高さを信用して鵜呑みにしてはいけないなと思った出来事でした。

上記の一件で思い出したニュースがあります。ネットやSNS上に氾濫するフェイク情報やプロパガンダが生成AIの回答に影響を与えてしまうというのです。政局や世界情勢が大きく変化するタイミングでSNSやYouTubeを開くと、感情を煽り立てる投稿(とくにショート動画)や広告が頻繁に流れてきます。それらを生成AIが回答に有益な情報として収集してしまう。以前コラムで「AIO対策」の話をしましたが、このケースはまさにAIOかつSEOの仕組みを悪用したと言えます。また、最近話題の特殊詐欺ではAI技術が流用されています。情勢が混迷している今だからこそ、物事の真偽を慎重に判断したいところです。

リテラシーはaiを使う力と直結する

2025年はAIエージェント元年と言われるように「AGI(汎用人工知能)」の実現が近づき、人間の知能を超える「ASI(人口超知能)」の誕生も示唆されるようになってきました。テクノロジーが直線的に進歩する一方で、専門家でなければAIの全容を把握することができず、使いこなす(「飼い慣らす」という表現も当てはまりそうです)ことも難しそうな気がしてきます。

しかし、どんなに時代が変わろうとも、新しい技術が現れようとも、私たちが根っこの部分で培っておきたいスキルがあります。それは「リテラシー」。

テクノロジーを操る能力も大切ですが、読み解く能力のほうがより重要ではないかと私は考えています。これは前回AIOの話をした際に、AIの使い方を、その外側から、運用される仕組みから説明したことと重なります。

何か「世界」をつくる者は、常にその世界の外側にいます。たとえば、小説、漫画、映画、ゲームといったコンテンツをつくるのは、その世界の外側にいるクリエイターたち。大きい話をすると、一神教の世界観における、この世界をつくった神など。

外側から俯瞰して眺めると同時に、その中身に手を加えることができる。「鳥の目」「虫の目」と表現されるように異なる視点・視座で物事を見て考える。

微細な違和感を無視しないでいられるか、問う力があるか。逆説的ですが、読み解く力があるからこそ生成できる力を持てるのではないかと思います。生成AIへの有効なプロンプトを発することができる人たちはこの部分が優れているような気がしています。AIを開発するエンジニアの人々はまさにこの立場から物事を見ているのではないでしょうか。

ではリテラシーを高めるにはどうすればいいか。これは結局のところ、日常で触れる情報に対していろんな角度から考えたり、自分と意見を異にする人の話に耳を傾けるなど、凡庸な試みを地道に行うしかないと思います。個人的には、SF的想像力が今の時代には必要な気がして、SFに分類される小説や映画に触れ、その世界に魅入り、同時にそれらをフィクションとして外側から眺めながら、考えをめぐらせています。